私にも多くの峠がありました
しかし、神様を解放して差し上げなければならないという一途な思いでした
だから人類の前に真の父母として堂々としているのです
神様のために何を犠牲にするのでしょうか
この問いが私の人生を根こそぎ変えました
自分自身ではない他人のために生きる人生は
犠牲を前提にしなくては考えることは出来ません
私は幼い頃から厳しく信仰を育みながら
胸に秘めてきた夢がありました
それは人類を救うために
歴史を綴って来られた神様を解怨して差し上げるものでした
天は! 創造主神様は愛であられると言いました
私たちの父母であると言いました
子供が死にゆく姿を見る父母の心情はいかばかりでしょうか?
私たちはこの瞬間から天の前に悔い改めと
憐みの祈祷を捧げなければならない時間です
世の中のすべてが、私には許されていないと感じるほどに、残忍で険しく
私が踏み出す一歩は苦痛であり
もう一度踏み出す一歩は未来の希望を築くための犠牲の足跡でした
真の父母の責任は地上に天の父母様をお迎えすることができなければなりません
私はそれを知るが故に1960年の真の父母の出発と共に始まりはとても大変でしたが
耐えて待って来るしかない事情がありました
私が地上にいる間になされなければならないのです
今や私たちは恐れることはありません
天が共におられるからです
真の父母が堂々とあられるではありませんか
永遠の世界を前にして今の瞬間大変だと言ってそれを拒みますか?
必ず天に応えなければなりません
その道に向けて全力投球、死生決断、中断なき前進のみが現時代を生きている
私たちの使命であり、責任であることを肝に銘じてください